器の大きさより中身が大切! |
以前、京都に住む知人を訪ねた。
「思い切って家を建てた!いつでも遊びに来いや。」と声を掛けられ本当におじゃました。…彼は社交辞令で言ったつもりだったのかもしれないが。。。
詳しく場所を聞くと金閣寺のスグ近くということでそこまで迎えに来てもらい案内された新居だったが…ハッキリ言ってカルチャーショックを受けた。
スシ詰めのように隣地が迫り、あきらかに土地も小さい。車を一台停めたらスグ横に狭そうに玄関ドアがある。間口の代わりに奥行きが長いのかと思ったが結構短い。辺りを見回すと、彼の家と似たような3階建てのコンパクトな新しい家がズラッと並んでいる新興住宅地だ。
「おじゃまします。」と家に上がるとやはりコンパクトだ。一階はトイレと風呂などの水廻りがあり、リビングは2階だと案内された。階段を昇ってドアを開けるとそこがLDKだ。またコンパクトさに驚く。3階は寝室だと話す彼。ものすごく思い切ったと聞いていたので、僕のイメージではスゴくでっかい3階建ての家を想像していた。
僕の驚いた表情を悟ったのか、「狭いやろ~?富山って土地いくらぐらいなん?」あっ!土地の値段が高いんだ!…思い込みとはコワいモノである。そう言われてやっと気付いた鈍感な僕デス。
「高いトコで坪14~15万ぐらいかなぁ。ちょっと郊外行けば10万切るトコもあるよ。」彼は奥さんと顔を見合わせとても驚いていた。聞くと彼のお宅は敷地が20坪ほどで1.600万円だそうだ。坪単価80万!家が30坪ちょっとで1.800万円、合わせて3.400万円という値段である。
富山で彼の家と同じ予算で土地を買うと、土地が坪単価10万円だと仮定すれば160坪。8倍の広さの土地が購入できる。そして住宅地として50坪から70坪が平均的であることを話すと更に驚いていた。
「うらやましいなぁ~。でもこっちはコレでフツーやで。富山で建てれば良かったかも。なぁ。」
「そやなぁ~。」…とっても幸せそうに微笑み合っていた。
家は、家族が幸せを育み、そして積み重ねて行く器。器の大きさではなく中身である。幸せが詰まっていれば大小は関係無いのだ。
ニュースレター「いま~じゅが~でん」2009年4月号より 本郷孝司
はじめてのオーダー家具? |
約20年前、高校を卒業して勉強机や教科書を部屋から出した。その頃は「社会人になったら
勉強なんてしなくてもいいもん。」と、本当はそれ以上に勉強しなくてはいけない現実を
理解していなかったのだが。。。
「広くなったなぁ。よしっ!これからは趣味の本やビデオデッキ(約20年前ですから。。。)や
テレビを置いて、自分の城にするんだ!」…と、ホームセンターでカラーボックスをいくつか買い、
組み立てて積み上げたり並べたりして置いた。そのカラーボックスの中に好きな本やCDや
ビデオテープを詰め込んで、理想の自分の城が完成したのだが…
「う~ん、、、イマイチすっきりしてないなぁ。」カラーボックスに詰め込んだモノが
見えるのが気になる。またまたホームセンターに走り、今度はベニヤとラッカースプレー(黒色)を
買った。カラーボックスは一台に3箇所の棚になるが、その全部に扉を付けて、当時流行りの
モノトーンカラーに塗ったオリジナルの収納棚に変身させようと試みたのだ。
棚の寸法を測り、その通りにノコギリでベニヤを切る。プロなら電動工具で瞬間に切ってしまう
ベニヤだが、コレがなかなかウマく行かない。切っているうちに曲がっていくし、切った角
(小口といいます)もザラザラしている。一枚切るのに小一時間はかかった。12枚ぐらいは
あったと思うので、何日もかけてベニヤを切った記憶がある。
モノトーンにするためには、やっぱり黒色だろ!ラッカースプレーでシュ~と吹き付けるが、
色がしっかり付かない。何度やってもベニヤの木目が黒く染まってくれない。今の仕事を始めて
から知ったのだが、一度サンドペーパーで表面をこすり、その後3度ほど塗り重ねて仕上げると
キレイになるのだ。
その後2度、ホームセンターに走るハメとなった。扉を開くときに必要な丁番と指を掛けるツマミの
準備をすっかり忘れていた。
完成した自分の城の収納棚。お世辞にもカッコイイとは言えないシロモノだったが、
出来上がったときの感動だけは忘れない。
大切なことは、「モノづくりの感動を忘れない。」ということだと思う。
ニュースレター「いまーじゅがーでん」2008年3月号より 本郷孝司
インテリアデザイナーに憧れて。。。 |
僕は20歳の時、インテリアデザイン事務所に入社し、この業界に入りました。
デザイン事務所ではありますが、自社でデザインと現場施工も請け負う事務所です。
入社以前の僕は、普通科の高校を卒業してすぐに勤めたインテリア資材の問屋さんの
デキの悪い営業社員でした。仕事に対する情熱も無く、きっと目は虚ろだったと思います。
「会社辞めようかなぁ。」ボンヤリ考え、そして辞表提出。担当してた取引先に辞職の
あいさつに廻っていた時、「お前、次の勤め決まってるんか?無いならウチ来い。」…と、
そのインテリアデザイン事務所の社長。
うれしかったです!
元々「インテリアデザイナー」という響きに憧れてましたから…所詮あんちゃんの考える
憧れなど、「かっこいいなぁ。」程度のモノでしたが。。。
しかし僕は専門知識があるワケでも無いズブのシロウトです。でもヤル気だけはありました。
毎日が新しい発見の連続で、楽しくて仕方ありませんでした。
社長は、「この仕事をしたいなら、勉強することを惜しむな。常に知識を蓄えろ。」と
いつも言ってました。僕が解からないことがあると、親身になって教えてくれます。
「オレはきっと有望なんだっ!社長の言う通り頑張れば、きっと有名なデザイナーになれる
ぞっ!」…単純ですが、それが僕の原動力でした。
ただし、その思い込みは入社3年後にカン違いだったと知るのです。
「現場忙しくて、どうしても現場掃除するヤツ欲しくて。お前に掃除させとけば3ケ月
ぐらいで辞めるかと思っとたけど、まだおるなぁ。」と、笑顔で話してくれました。
以外にも頑張ってたみたいデス…なんとなくフクザツでした。
僕は最近強く感じます。「育ててもらったんだなぁ。」と。
8年間お世話になり独立開業したのですが、ウチのスタッフや専門学校の学生たちと話して
ると、彼らと似たようなことをその社長に言った覚えがあることに気づくのです。
コイツ、ナニを言ってんだか。。。と思いつつ、親身になって建築知識や設計技術を僕に教
え込んでくださった社長の顔が浮かびます。
僕は社長を見習うように、ヤル気のあるスタッフや学生に専門知識を伝えています。
それが育てて頂いたことへの恩返しのような気がしてなりません。
最近は疎遠になっていますが、時間がある時はその事務所へ寄らせて頂くことがあります。
「おうっ。元気か?」なんだか軽~く挨拶してくれますが、きっと喜んでくれているハズ?
…です。
景気の話や近況を話すだけですが、彼はこの先もずっと僕の師匠であり目標です。
いつかは追いつき追い越したい。育てて頂いた感謝の気持ちをこめて。。。
ニュースレター「いまーじゅがーでん」2007年11月号より 本郷孝司










